ウェス・アンダーソン映画のレコードマニアを熱狂させるサウンドトラックはいかにして作られるか

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米音楽誌Pitchforkにて、映画監督ウェス・アンダーソンが彼の映画で見せるあまたの音楽マニア、特にヴァイナル・ジャンキーを唸らせるサウンドトラックがいかに作られるかを分析するJudy Barman氏による記事"How Wes Anderson Perfected the Music-Nerd Soundtrack"が公開されていました。

日本においても最新作「 犬ヶ島 」の公開が待たれている現代を代表する映画監督ウェス・アンダーソンの、20年以上に及ぶフィルモグラフィーを追いつつ、同時代のアメリカ国内におけるポップカルチャーやタランティーノやウォン・カーウァイをはじめとしたそのほかのマニア的映画監たちなどを引き合いに出して、彼独自のスタイリッシュな感覚がいかにして生まれ、現代のカルチャーに影響を与えたかを論じる文章となっています。以下に日本語訳したものを掲載するのでご興味のあるかたはぜひご覧ください。

ウェス・アンダーソン的、Nerdなサウンドトラックの作りかた

Wes Anderson©︎NurPhoto

ウェス・アンダーソンの新作「 犬ヶ島( Isle Of Dogs ) 」で使われている英詞の歌は「 I Won't Hurt You 」ただひとつだけである。1967年にLAのバンドThe West Coast Pop Art Experimental Bandが発表したソフトなサイケ・フォークの曲で、144秒あまりの小品だが、この曲はレコード盤に残されたあらゆる音源の中でも、静かなる情熱を最もよく表現する歌であると言っても過言ではない。サビではタイトルを何度も繰り返し、やわらかなギターのフレーズは「 きみの目の中にある宇宙/ぼくは宇宙船に乗ってそこへ行き、きみを探そうとする 」という歌詞を引き立たせている。ドラムスの代わりに、大きく鳴り響く心臓の音がビートを刻めば、ボーカリストはまるで寝言を言っているかのように歌っている( もしかすると鼻づまりに悩まされているのかもしれない )。しかし、映画内で感情を高ぶらせるシーンで一般的に使われるドラマチックな類の曲とは決して言えないし、ましてやこの曲が近未来の日本を舞台にしたストップ・モーション・アニメに使われるとは誰も思わなかったであろう。

「 犬ヶ島 」は犬の伝染病“犬インフルエンザ"が蔓延し、飼われている犬たちがゴミの島へと隔離された架空の都市、メガサキが舞台だ。この映画のスコアにはトラディショナルな日本の楽器であるリコーダーや太鼓と東京の偉大な監督黒澤明の映画に音楽とを合わせたものがよく使われているが、予告編におけるサウンドの中心に据えられているのはこの「 I Won't Hurt You 」である。完璧なまでに甘美で忘れられないこの曲は、おなじく甘美で忘れることができないこの映画に日本語以外の言語の要素を加えている。

ブレット・ミラノによる2003年の本「 Vinyl Junkies: Adventures in Record Collecting 」において、West Coast Pop Art Experimental Bandは「 レコードのハード・ディガーの大多数に愛され、それ以外のものには誰からも愛されない 」バンドである、と説明されている。デジタル・プラットフォームの登場によって彼らの音楽を広く聴くことができるようになり、彼らのレコード盤が再発された現代においても、その状況は変わらずにいる。少なくとも「 犬ヶ島 」が現れるまではそうだった。そして「 犬ヶ島 」が現れたいま、トレイラーを約1300万回再生されたウェス・アンダーソン・ファン軍団によってその曲の40秒が聴かれることになった。実際の映画内においても、「 I Won't Hurt You 」はたびたび使われている。これはまさにウェス・アンダーソンによって行われる、知られざるミッド・センチュリーのポップ・カルチャーを映画とシンクロさせる手法の典型で、そのシーンが持つ感情を揺さぶられるようなインパクトの即効性に触れれば、使われている音楽が荘厳なクラシックでないことをあなたは信じることができないはずだ。

これがレコード・ディガーのサウンド・トラックと呼ばれるもの、フリー・マーケットで埃をかぶったLPがつまったエサ箱を漁っている瞬間のスリルを再現することによって映画体験を高める音楽監修スタイルがもつ力である。作品に合わせてあたらしいシングル曲を制作する代わりにBサイドの曲をリサイクルしたり、ひとつのシーンを上手く纏めあげるために最適な過去の傑作を探し当てたりしながらサウンドトラックを構築することで、広く知られていない曲、忘れられた曲、さもなくば適切に引用された過去の名作に栄光を与える。ときにそういったサウンドトラックはまるで自作のミックステープのような感触のアルバム作品としてリリースされることで、そんな名曲たちを文化的スポットライトの光の下に引き戻すこともある。

ウェス・アンダーソンは「 ぼくは熱心なレコードマニアではない 」と主張しているが、彼と彼の映画の音楽監修を長年務めているランドール・ポスターの両人はこういった幅広い趣味を持ったアプローチをうまくやり遂げるチームとして最も有名な存在となっている。映画に必要な感情とそれを表現する音楽との完璧なシンクロを求める探究心に動かされ、ポスターは2007年公開のロードムーヴィー「 ダージリン急行 」のために作品の舞台である現地インドへと向かった。そこで彼は有名な映画監督Satyajit Rayの作品を管理する財団を訪ね、Rayの映画音楽のマスターテープをコピーさせてもらうように頼んだ。また、ロアルド・ダールの児童文学『父さんギツネバンザイ』を原作としたウェス・アンダーソン初のストップ・モーション・アニメ「 Fantastic Mr. Fox 」に使用するために、バンドの音源を管理する担当の人間を追い回し「 Ol’ Man Rive 」のカヴァーの使用を認めさせた。ビーチボーイズ・ファンは彼に感謝しなければならない。

ウェス・アンダーソンとポスターは非の打ち所のない音楽センスの持ち主であることは言うまでもない。Talkhouse( 米国のメディアカンパニー )はそれを讃える意味もこめて「 天才マックスの世界 」の音楽をSmash Mouth, Spin Doctors, and Blink-182といった90年代ヒットに変えるパロディームーヴィーを作った。この置き換えにより、思春期を描いた芸術性の高い傑作はB級ティーン・コメディへと変化を遂げている。それと同時に音楽がどれほど映画のムードを劇的にかたち作るのかを示す結果となったのである。

すべてのレコードマニアはそれぞれに専門のジャンルがある。ウェス・アンダーソンにとってはブリティッシュ・インヴェイジョンがそれにあたり、度々登場するローリングストーンズはもちろん、「 ダージリン急行 」やその前日譚にあたるショートムーヴィー「 Hotel Chevalier 」にて繰り返し使用される珍盤「 Where Do You Go To ( My Lovely )? 」( 1969 )のヒットで知られる一発屋のPeter Sarstedtに至るまで、幅広くカヴァーしている。「 天才マックスの世界 」はウェス・アンダーソンの英国趣味が強く反映された作品で、ストーンズをはじめThe WhoやThe Faces、さらにはこの映画に「 Making Time 」が登場するまで米国ではほとんど知られていなかった4人組ガレージ・ロック・バンド、The Creationもフィーチャーされている。映画の元ネタである、イギリスの映画監督リンゼイ・アンダーソンの1968年の映画「 If もしも... 」に出てくる悩める男子生徒と同じく、「 天才ー 」の主人公マックス・フィッシャーは伝統的な価値観を象徴する衣装に身を包んだ反抗者である。ポスターは、この映画でローリング・ストーンズ「 I Am Waiting 」が使われたことを「 ( 曲がリリースされた )当時のストーンズはシワシワのスーツに身を包んだ悪ガキのような見た目をしていた。そこでわたしは( ウェスが )映画のテーマと彼らの音楽やビジュアルとになんらかの対応を見出したんだと思ったんだ 」と振り返っている。持ち前の自由な作風に、こういった偶像崇拝と制度への敬意、伝統への愛情を混ぜ合わせる手法こそが監督や脚本家としてのウェス・アンダーソンの代名詞である。だからこそ彼の基本的なサウンドトラックがこれらの美徳的テーマにぴったりと合っていることに疑問の余地はないだろう。

ウェス・アンダーソンが入れこむ対象は60年代のイングランドだけではない。2005年のChris Dahlenによる「 ライフ・アクアティック 」レヴューによれば、彼は"ウェス・アンダーソンの音楽"を「 軽さを持つがMORではなく、強烈なベースリズムを持ちながらも柔らかな耳触りのする類の音楽である 」と定義づけている。この映画より前には、この"経典"的定義はマンハッタンを舞台にした映画「 ザ・ロイヤル・テネンバウムズ 」で印象深く使われていたNico「 These Days 」やBob Dylan「 Wigwam 」などに現れており、こと「 ライフー 」でいえばブラジルのミュージシャンSeu Jorgeが演奏するDavid Bowie「 Changes 」のサンバ・アレンジがそれにあたる。最近の傾向としては「 ムーンライズ・キングダム 」や「 グランド・ブダペスト・ホテル 」などの映画で、ウェス・アンダーソンとポスターはクラシック音楽を導入。そしてオスカー受賞作曲家であるAlexandre Desplatの器楽スコアに大きく頼っている。このように彼らは、すでにあらたなジャンルやトラディショナルな音楽に探索の枝葉を伸ばしているが、これまでにみせた"エサ箱漁り"のメソッドはかれらのキュレーションスタイルを決定づけるものであり続けている。

レコード・マニアの好奇心や情熱、多岐にわたるジャンルへの嗜好性や過去の世代のポップ・ミュージックに対する多大なる敬意を持って映画のサウンドトラックへアプローチしていく監督はウェス・アンダーソンだけではない。マーティン・スコセッシ「 グッドフェローズ 」やスパイク・リー「 マルコムX 」、ジョージ・ルーカス「 アメリカン・グラフィティ 」などのサウンドトラックはさておき、レコード・マニア・スタイルの選曲法の起源は、いまや強大な影響力を持つポストモダン的価値観が広く支配的になりつつあり、ロックが独自の歴史を歩みはじめた'70〜'80年代にまでさかのぼる。グレイテスト・ヒッツ・コンピレーション・アルバムが蔓延し、ロック専門ラジオ局はまだなかったこの年代に、ジョン・ウォーターズによるカルト映画「 ピンク・フラミンゴ 」では、ウォーターズが幼少期を過ごした50年代の音楽であるロカビリーとドゥ・ワップを組み合わせた。1986年には、デイヴィッド・リンチが「 ブルーヴェルヴェット 」においてRoy OrbisonとBobby Vintonを使ってアイゼンハワー時代における郊外の閉鎖性を( 具体的な時代設定を感じさせることなしに )喚起した。

ウェス・アンダーソンが1996年の彼のデビュー作「 アンソニーのハッピー・モーテル 」にて60年代後半のLAのサイケ・ロック・ミュージシャンLoveの2曲をフィーチャーする数年前、香港の偉大な監督ウォン・カーウァイがレコードマニア的サウンドトラックに国際性を取り入れた。ウォン・カーウァイはリンチやウォーターズのようにミッドセンチュリーの蠱惑的で闘志にあふれた空気感に魅了されており、その結果として中国やアメリカ、そしてその他多数の新旧のポップソングを彼のドリーミーでノスタルジックなラヴ・ロマンスに散りばめることとなった。1994年の傑作「 恋する惑星 」では、主演のひとりであるフェイ・ウォンによって広東語で歌われるCocteau TwinsやCranberriesのカヴァーソングが、ネオンの光が眩いラヴストーリーに華を添えている。そして劇中、彼女が演じる希望に満ちたキャラクターのフェイバリット・ナンバーはMamas & The Papas「 California Dreamin’ 」であった

「 恋する惑星 」の公開と同年、クエンティン・タランティーノの「 パルプフィクション 」のサウンドトラックがビルボード年間チャートの21位まで駆け上がり、その後2年に渡りチャートに名を連ねることとなった。この映画ではオリジナル楽曲が使われず、かわりに古いサーフ・ロックやファンク、ディスコ、ソウル・ミュージックを採用した。Niel Diamondの1967年の( ソフトな女性蔑視的表現が含まれる )バラード「 Girl,You'll Be a Woman Soon 」のUrge Overkillによるカヴァーにのせて、ユマ・サーマン演じるミア・ウォレスがヘロイン中毒に陥る有名なシーンにそのすべてが表れている。

ウェス・アンダーソンとタランティーノのあいだには現代におけるポップ・アイコンぶりと暴力表現の名手であるという共通点を見出すことができる。さらに、彼らはともにメインストリームにいながらも90年代のインディー・シーンにルーツを持っており、彼ら特有の画面の構成感覚、根底に流れるマニアな性癖、そしてポップ・カルチャーのパスティーシュを好むところも似ている。こと音楽についても、彼らはともに古い映画音楽を作品の中でリサイクルすること、また一つのシーンで流れる音楽と描かれる感情との調和を愛している。彼らは現代においてユニークなサウンドトラックを編むために必要な関心と自由、そして予算を持つ数少ない監督だと言えるだろう。そして彼らは、デイヴィッド・リンチやウォン・カーウァイらとともに、描かれている時代とは別の時代の音楽を使ってそれらをミックスすることで映画自体をタイムレスなものにする才能すらも分かち合っている。

しかし、タランティーノの音楽をシーンの感情にシンクロさせる手法が、たいていの場合ストーリーにおいてアイロニーや文学的な説明として機能している一方で、ウェス・アンダーソンのそれは登場人物の内に秘めたる感情の機微を際立たせながらも、同時にシーンのムードや場の色合いを成立させるためにも存在している。つまり、彼のサウンドトラックは独立したプレイリストとしても優秀である、ということだ。タランティーノがNancy Sinatra「 Bang Bang ( My Baby Shot Me Down ) 」を「 キルビル 」で裏切りの花嫁のアンセムとして使用したことはあなたの感情を揺さぶる程度に賢いアイディアだろうが、ウェス・アンダーソンの映画に関しては、文脈は関係なく、使われている音楽をすべて知りたいという衝動に駆り立てられるだろう。

ウェス・アンダーソンの映画はいつも、ときにそれなりの正当性を持って、あまりに気取りすぎていると言われがちだが、彼のサウンドトラックはそんなことはなく、常に観客や聴き手に感情的なレスポンスを要求している。それはおそらく、彼がいつも音楽を念頭に置きながら脚本を書いていて、ポストプロダクションの段階で音楽とキャラクターとの関係性を引き出すまでもなく、キャラクターのパーソナリティを形作るのに音楽を有効利用しているからだと思う。たとえば「 ダージリン急行 」で、ウェス・アンダーソンとポスターは3人の男兄弟の映画を通して描かれる険悪な関係性をドラマティックにするため、仲の悪い兄弟バンドとして有名なKinksの曲を使うことをかなり早い段階から計画していたことが知られている。

ポスターは「 ザ・ロイヤル・テネンバウムズ 」において彼とウェス・アンダーソンは撮影がはじまる前の段階で90パーセントの音楽とシーンの組み合わせ作業を終えていた、と振り返る。最も難しかったのは、元天才テニスプレーヤー、リッチーが、彼が密かに恋い焦がれていた養子の姉マーゴにまつわる心乱される知らせを聞くシーンだったという。彼らの実家のバスルームでリッチーが髪を切り髭を剃っていると、彼はそのままカミソリで腕を切ってしまう。このシークエンスにはElliott Smith「 Needle in the Hay 」が使われているが、この曲は、青色がかったカラーマネジメントが施されたリッチーの静かなる自殺未遂のショットによく似合う、スローテンポで静謐で壊滅的なムードを持っている。Smithの名はクレジットに現れるBob DylanやNico、Nick Drakeのなかにおいても特に異質に見えるだろうが、のちに一世を風靡するこのダークなインディー・フォーク・ミュージックは静かな声で歌うそのほかのミュージシャンたちの曲のあいだで居心地よく感じられているだろう。

「 ザ・ロイヤル・テネンバウムズ 」のシーンで指し示ているように、ウェス・アンダーソンに対する「 狂信的懐古趣味 」というようなレッテルはまったくふさわしくない。確かに、彼は平均して2回以上はレコードの回るターンテーブルのショットを自身の監督作品に入れ込んでいるが、一方で「 ダージリン急行 」の登場人物は音楽をかけるのにiPodを使用している。「 ライフ・アクアティック 」のために録音されたSeu JorgeのDavid Bowie「 Changes 」カヴァーは「 Ziggy Stardust 」におけるBowieの宇宙旅行を海洋探査チームにとっての熱帯探索として単純に置き換えているわけではなく、スティーヴ・ズィスーの波乱万丈な過去、そして孤独な現在の姿を繋げる役割を果たしているのだ。そして映画のクライマックスでは、彼らがついにスティーヴの親友を殺した伝説のジャガーシャークの姿を一瞥することに成功したかと思うと、Sigur Rós「 Starálfur 」にのせて船長とそのクルーは即座に時間と場所を移動してしまう。

ウェス・アンダーソンのそれぞれの作品のサウンドトラックには、作品自体のテーマを包括するような曲が含まれている。「 ザ・ロイヤル・テネンバウムズ 」のニューヨーク・ボヘミアンたちの曲や、「 ムーンライズ・キングダム 」におけるBenjamin Brittenの、聴くものを励ますように整えられた子供達のための教育的クラシック作品、それにHank Williamsの散らからんばかりに激情的な、オトナのカントリーソングなどだ。しかしこれらの曲が収められたサウンドトラックはタイムカプセルとしては機能しない。ウェス・アンダーソンの音楽に宿る魔術的な作用には、ある特定のジャンルや年代に忠実さが関係していることはほとんどないと言っていい。彼の魔法は、彼の映画に現れるエモーショナルな情景と、それを形作るために、知られざる曲と親しみのある音楽が一緒になって流れ出すその手法に宿っているのだ。

振り返ってみると、ウェス・アンダーソンはポストモダンなMTVのコラージュを見ながらティーンや20代を過ごした最初の世代が大人になったまさにその時期に出現した。ケヴィン・スミスやトッド・ソロンズなど、ジェネレーションX世代の時代精神を代表するようなインディペンデントな映画作家とは似ても似つかないが、ウェス・アンダーソンは21世紀の今でも"有効"な作家として生き続けている。それはひとえに彼の多種多様なものを取り込む手法を採用した先見の明に起因するものが大きいだろう。2018年のいま、われわれはクリックひとつでYouTubeビデオのランダム再生から格式ある美術ギャラリーへものの数秒の間に行き来することができる。音楽に関していうと、ストリーミングサービスの登場によりすべての好奇心旺盛なミレニアル世代をジャンルにとらわれないリスナーへと成長させている。彼らはまさにヴァーチャル世代のハード・ディガー、若きウェス・アンダーソン予備軍と言ってもいい。

これらのサーヴィスは、つまりわれわれはすでに大好きな映画作品の音楽を再体験するためにわざわざ20ドルをはたいてCDを買う必要は無くなったということを意味している。2017年の発表によると、ここ10年で発売されたもののなかで、史上最も売れた映画サウンドトラックベスト15に入った作品は「 アナと雪の女王 」だけであった。しかしウェス・アンダーソンの音楽がもつブランド価値は、このような売り上げの落ち込む世の中を生き抜くには十分な力強さを持ち続けている。ゆるやかながら確実に成長を続けているレコード・リヴァイヴァル・ブームの只中で、彼のサウンドトラックは、いまだに( レコード・ストア・デイで限定発売されるような )フィジカル・アルバムを買っている熱狂的音楽ファンやプロダクト・ラヴァーから熱い支持を集めている。

2000年以降、ウェス・アンダーソン世代やそれより下の世代のインディー映画作家たちは、現代を舞台に古いもの、新しいもの、よく知っているもの、あまり知られていないもの、などのあらゆる音楽を取り込んだ映画を制作しているが、それらのサウンドトラックはときに映画自体を超えた存在となる。ウェス・アンダーソンと共同で脚本を手がけたこともあるノア・バウムバック監督、グレタ・ガーウィグ主演( ノアとともに脚本も担当 )の「 フランシス・ハ 」では、ヌーヴェルヴァーグの映画音楽をDavid BowieやT-Rexと混ぜ合わせている。ジェイソン・ライトマンとディアブロ・コディー脚本による、米アカデミー作品賞ノミネート作である「 Juno / ジュノ 」ではアンチ・フォーク・シンガーKimya Dawsonによるオリジナル楽曲に、Sonic YouthやMott The Hoopleを散りばめている。ザック・ブラフの2004年のヒット作( 賛否あるだろうが )「 終わりで始まりの4日間 」はThe ShinsやPaul Simon、Iron & Wineなどの楽曲を使用し、柔らかな語り口で人間存在のやり場のない怒りや不安をコンパイルしたグレイテスト・ヒッツのような、ゼロ年代の特徴をうまく表すサウンドトラックと呼べるもののひとつを孕む作品だ。ソフィア・コッポラはウェス・アンダーソンとポスターの手法を転倒させ、過去を舞台設定にした作品に舞台設定の時代より後に生まれた音楽を当てはめることが多い。彼女のデビュー作である1999年の「 ヴァージン・スーサイド 」は70年代が舞台だが、使われている曲はSloanやTodd Rundgren、Heart、そしてAirによるエレクトリックなオリジナル楽曲である。

「 エサ箱漁り 」的音楽の嗜好がもはやメインストリームな価値観になって、同時にアルバム・セールスが停滞したことで、多くの映画にとって必要としていない"A級リスト"に載っているミュージシャンたちによる新曲ばかりのサウンドトラックを作っては結果的に「 フィフティ・シェイズ 」シリーズよりも少ないお金しか稼げないでいる現状を鑑みてか、ハリウッドの映画制作の現場においても徐々にウェス・アンダーソンとポスターの手法が取り入れられはじめている。レトロ・ラップ・ギークに好まれるDigable PlanetsやPublic Enemyの楽曲が使われている2015年の「 DOPE ドープ!! 」から、ドラマ「 O.C. 」や「 ゴシップ・ガール 」の音楽監修も手がけるアレクサンドラ・パスタヴァによって80年代のエモやゴス、ニューウェーブを取り入れられた2012年の「 ウォールフラワー 」にいたるまで、ティーン向け映画にはその流れが顕著に表れている。エモ・ファンにとってのヒーロー物語である「 スコット・ピルグリム VS. 邪悪な元カレ軍団 」は興行的には大失敗に終わったが、Beckがオリジナル楽曲を手がけ、インディーなタッチとクラシック・ロックが邂逅したそのサウンドトラックはビルボードのロック・アルバム・チャートで6位になるヒットを記録した。このように一度ティーンエイジャー( やその年代の価値観を好む大人たち )が顔を向けたものははトレンドになり、以降多くのカルチャーの分野において浸透していくことが約束されるは、これまでポップ・ミュージックがその道筋を指し示してきたとおりである。

グランジやシネマ・ヴェリテのファンならよくご存知のことだとは思うが、ニッチな美的価値観がメインストリームに取り入れられるとそれまで持っていた輝きが失われるのはよくあることだ。しかし、それはしかたのないことでもある。映画「 アルファヴィル 」やJamiroquaiを融合した"ダサカッコいい"サウンドトラックを持つMTVの擬似インディー・ティーン・コメディ「 ナポレオン・ダイナマイト 」は「 天才マックスの世界 」の間接的なこどもと言えるかもしれないが、マックス・フィッシャーのブリティッシュ・インヴェイジョンな音楽たちに比べると、「 ナポレオンー 」の楽曲達は文学的なジョークとして使われているにすぎない。それはともかく、時の流れがあまりにも早く感じる「 feel old yet? 」の時代においては、「 エサ箱漁り 」スタイルのサウンドトラックはノスタルジーに火をつけるだけでなく、失われた宝石をあぶり出し、よく練られた選曲を通して映画のキャラクターに意味のあるつながりを生み出す存在となっているのは間違いない。

もし、これまで語ってきたようなウェス・アンダーソンのゼロ年代前半における音楽スタイルが別の映画的クリシェに取って代わろうとしているのであれば、そのことについて彼や彼の音楽監修のパートナーであるポスターを咎めることは難しいだろう。彼らが60年代や70年代のフォーク・ソングやポップスに頼り切って映画を作るようになってから、すでに十年以上が経過しているからだ。現在では、ウェス・アンダーソンは映画における時代と場所の設定をさらに広い範囲から探索しており( すでに彼の美的センスをしゃべる動物たちが主役のストップ・モーション・アニメに適応させてはいるが )、彼のこれまでの映画のサウンドトラックと最新のそれとは大きく異なっている。彼とポスターはいまでもレコード・コレクター精神を持っているが、その精神が興味を抱かせる範囲を、ウェルメイドなセレクト・レコード・ショップのワンコーナーからそのレコードショップ全体へと広げている。外国語映画音楽の箱を漁った次の瞬間には別の箱でロシア民謡やフレンチ・シャンソンのレコードを抜く。このようにして作られた「 グランド・ブダペスト・ホテル 」のサウンドトラックには、戦争やその他20世紀における恐怖にさらされる、架空の中央ヨーローッパのホテルという舞台設定に合うように配慮したのだろうが、英米ポップスのシングル曲は含まれていない。

「 犬ヶ島 」でも同様に暗いテーマを取り上げている。登場する犬たちは、まるで第二次世界大戦中に強制収容所に送られた何百万ものユダヤ人、あるいは米国内で捕虜にされた何万人もの日系アメリカ人のようである。全体を通して低く不穏な太鼓の音色が響きわたるなかで、「 I Won't Hurt You 」は往年の"アンダーソン-ポスター"ワークスを思い起こさせる。しかしそれもまた、よくデザインされた互助の表現であること、人間と犬の英雄たちにとって特攻的行動がどういったものかをよくわからせるためのビーコン・ガイドのような存在となっていることは間違いない。繰り返し歌われるタイトルは、たがいに致命的な被害を与えうるがかわりに助け合うことを選び、それぞれ生き残ることができた人間と犬とのあいだで交わされた約束である。曲の素晴らしさもさることながら、ウェス・アンダーソンなしでは「 ぼくはきみを傷つけない 」というフレーズ自体にそのような効力を持たせることは決してできなかったに違いない。

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「 犬が島 」オフィシャルサイト※5/25より全国ロードショー

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