辻林美穂「Clarté」リリース記念インタビュー①〜tsvaciのこれまでとこれから〜

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辻林美穂さんアーティスト写真

2016年4月20日、待望のデビュー・アルバム「 Clarté 」をリリースした辻林美穂。2014年、坂本龍一氏の「 RADIO SAKAMOTO 」にて「 あぶく 」が、tofubeatsのプログラム「 OMG BEST ALBUM EVER 」で「 You Know… 」がそれぞれO.A.されたことをきっかけに一部メディアや耳の早い音楽ファンの間で話題となり、以降声優・歌手の悠木碧さんのアルバム「 イシュメル 」への楽曲提供、ネットレーベルAno( t )raksのコンピレーション・シリーズ「 Light Wave 」への参加、Tomgggの楽曲「 Butter Sugar Cream 」へのボーカル参加をはじめとした他ミュージシャンとのコラボレーションなどを経て、着実にその知名度や活動の幅を広げている。現在盛り上がりをみせるシティ・ポップのリヴァイヴァル的な動きのなかに突如現われた新星としての脚光を浴びながら、緻密に構成された自作の打ち込みサウンドではソングライティングの才能を発揮、かと思えばそのキュートな歌声で多くの人を魅了するなど、じつにさまざまな顔を持つ彼女が、現在の彼女になるまでにどのような道をたどってきたのか、そしてこれからどこへ向かっていくのか。彼女の音楽的キャリアを紐解きつつ、今回のデビュー・アルバムリリースにいたるまでの道筋を語ってもらった。( ご本人によるアルバム収録曲の解説もあります )

インタビューその②はこちら
本人によるアルバム全曲解説はこちら

辻林美穂インタビュー①

勘違いを繰り返してここまで来た

Q:アルバムのリリースおめでとうございます。今回のインタビューでは、おそらくまだあまり知られていないであろう辻林美穂さんのパーソナルな部分を中心に訊いていきたいと思います。まず、辻林さんが初めて音楽に触れたのはいつ頃になりますか?

辻林美穂( 以下T ):ありがとうございます。初めての音楽体験は幼稚園の年中クラス、5才のときですね。姉が通っていたピアノ教室についていったのが最初かな。それからわたしもその教室に通うことになるんですけど、通いはじめて数ヶ月で自分には絶対音感があることに気づいたんです。当時は絶対音感なんて言葉知らなかったので、母に「 お母さん!ピアノがドレミって言ってるよ! 」とか言ってました。あと自分はまわりの友だちよりも鍵盤ハーモニカが上手く弾けていたこともあって「 わたしってもしかして音楽の才能あるのかも! 」って自信を持ちはじめたんです。それがわたしの音楽人生のはじまり、その後音楽にのめり込んでいくことになった一番最初の体験ですね。
それ以降はピアノのほかに、チェロとかサックスとか、”しゃぎり”( 祭りのお囃子 )とか、音楽に関してだけでも色んな習い事をさせてもらってましたね。子どものころ、わたしすごく体が弱くて、入退院を繰り返してるような子どもだったんです。そのせいで両親はわたしのことをすぐに死ぬ、長く生きられない子どもだと思ってたみたいで( 笑 )短い人生を充実したものにしてあげよう、いい思い出を作ってあげようと思われてたので、習い事をたくさんさせてくれてたというか、させられてたというか。地元の合唱団にも入ってたんですけど、まわりはみんな大人なのにわたしだけ小学3年生で参加してたりとかしてました。

Q:早くから色んな楽器をやったり歌ったりしていたんですね。

T:わたしは練習嫌いだったのでイヤだったんですけど( 笑 )

Q:ご両親は音楽に熱い人だったんですか?

T:いや、父親はZARDしか知らない、くらいの人で( 笑 )あと岡村孝子さんとかあみんとか、限られた女性シンガーの曲しか聴かないという感じでした。でも母親は比較的洋楽とかも聴く人で、山下達郎さん、竹内まりやさんの曲が家や車の中でいつも流れていました。小6〜中1にかけてはビッグバンドにも入って、テナーサックスをやってたんですけど、そこで母のほうがジャズにハマって、ビッグバンドとかトリオとか、モダンからクラシックなものまでCDが何百枚もあって、それを聴いたりもしてましたね。だから、私がボーカル入りの曲を書くのが好きなのは母の影響が大きいかもしれないです。とにかくいろんな音楽を生活の中で聴いて育ったという感じですね。
あとはCMソングも大好きで。わたし昔からテレビっ子だったんですけど、番組を録画してみるときって普通CM飛ばすじゃないですか?でもわたしはCMソングが聴きたいからだいたい飛ばさずにずっと観て、耳に残ったものを口ずさんでました。「 やっぱこれだね〜♪ 」みたいな感じで( 笑 )メロディとベースラインがわかればコードもなんとなくわかるんでピアノで再現して弾いてみたりもしてましたね。そこからまたさらに「 あたし音楽できる! 」という自信につなげていきました。考えてみるとそういう勘違いを繰り返して、ここまできた感じですね…わたし結構ヤバいやつなんです( 笑 )

Q:じゃあ誰かに教わった、とかではなく自分の耳を頼りにセンスを育んでいったんですね。

T:そうですね、ほとんど独学というか、家でピアノに向かって自分が弾きたいものを弾くっていうことをしてました。小学校3年生まではピアノやってたんですけど、習っていたのが地元では有名なすごく厳しい先生でレッスンに行くたびに泣かされていたので、それがトラウマになって辞めちゃって。身近に教えてくれる人もいなかったので、高校1年生のとき音大を受験するって決めて、母校でもある昭和音楽大学の先生のところに月に2回くらい通うようになるまで、自分でピアノを弾いて音を確かめて、ということを長い間ずっとやってました。

初めて作ったのは合唱曲

Q:そんななかで、曲作りをはじめたのはどのタイミングだったんですか?

T:音大受験の課題で作曲がある、ということがわかってはじめて作りはじめました。中学生くらいから「 作曲やりたい 」とは言ってたんですけど実際行動には移さない、みたいな時期がけっこう長かったです。友だちとかには「 わたし多分作れると思う( ドヤァ ) 」って感じで言ってはいたんですけど( 笑 )4、5年くらい、つくりたいとおもってから1度も作らないまま過ごしてましたね。想いだけ持ってて実際には動き出さないっていう、どうしようもない感じ( 笑 )ダメだ、振り返るとなんか自分のダメさが明るみに出てきてツラい( 笑 )
最初は合唱曲と課題曲の2曲を並行して作りはじめました。高校で合唱部に入ってたんですけど、3年の卒業するタイミングで公演があって。そこで私の一つ前の代からオリジナル曲を作って歌う、という流れができていたので、私の代では「 私が作りたい! 」って手を上げて作らせてもらいました。作ったのは混成四部合唱の曲ですね。合唱と軽音楽部がいっしょになったような部だったのでバンドもやってて、椎名林檎さんの曲とかを自分でいっしょにやってくれるメンバーを声かけて集めてやってました。ほかにもバンドではポルノグラフィティのカバーとかもやってましたね。
課題曲のほうはボーカル入りの曲です。いわゆるバンドものですね。1年生のときのクラスが好きすぎて、その想いを込めた曲を作りました。今では内容がちょっと恥ずかしくて誰にも聴かせられない感じの曲です( 笑 )

Q:ちなみにリスナーとして、自分でCDを買って聴くようになったのはいつ頃だったんですか?

T:小学生の4年か5年のころだったかな、ポルノグラフィティのCDをクリスマスプレゼントに買ってもらったんですけど、そこからCDを買って聴くということにハマっていきました。小5か小6で近くのレンタルショップに通うようになって、aikoのアルバムとか借りてMDに録音したり。当時自分で選んで聴く音楽はほとんどJ-POPで、それこそテレビっ子なので、テレビに出てくるようなミュージシャンの曲ばっかり聴いてました。大貫妙子さんみたいなミュージシャンは名前を知ったのも最近のことです。それまではホントaikoしかない、みたいな感じで生きてました( 笑 )

シティ・ポップの人?なんとでも呼んでくれ!

Q:そんな中高時代を経て、音楽大学にすすむことになるわけですが、どういった理由で音大に進んだのですか?

T:映画とかドラマとかのサウンドトラックなどを手がける作曲家になりたい、と思ったのが一番の動機ですね。ストリングスのスコアの書き方とか、楽器の音域とか吹き方とか、そういうのを勉強しようと思って音大に入りました。
昭和音楽大学の作曲学科デジタルミュージックコースってところで勉強していたんですけど、わたし完全に入るところ間違えたんですよ( 笑 )そこは電子音楽とかノイズとか、波形の扱いかたとか、機材と機材の相性を理解して音域にあわせてウーファーがあーだこーだ、みたいなのとか、フェーダーをいじって音を前後に飛ばす、とかそんなことを勉強する、エンジニアになるような人たちに向けたようなコースで。わたしはそこでポップスとかできると思っていたので、入ってみたら全然違ってびっくりしました。最初は一応きちんと勉強していたんですけど、だんだんこれは私のやりたいことじゃないな、と思いはじめちゃって。それでスカートの澤部さんもいた、自分で曲を作ってエンジニアリングして、ちゃんと作品としてかたちにすることを学ぶサウンドプロデュースコースっていうコースがあったんですけど、そっちのほうが自分のやりたいことに近いな、と思ったので、3、4年生のときにはもうほとんどそのコースの先生の授業ばかり受けていました。実質、勝手に転科したみたなかたちですね( 笑 )
大学に入って2年間くらいは友だちの映像作品につける音楽とか、インストの曲しか書いてなかったです。当時は今みたいにボーカル入りの曲を書きたいっていうのは全然思ってなかったし、自分で歌うアーティストになりたい、みたいなこともまったく考えてなかった。自分の歌も「 なんて下手なんだ私は 」くらいに思っていて。当時はシンガーになるためにはきちんと音程がとれてかつブレがなくて、みたいな、歌が上手いか下手かでしか勝負できない世界だと思っていたので、ボーカリストの道は選択肢の中になかったんです。転機になったのは3年生のときですね。サウンドプロデュースコースの先生の授業を受けたとき、ボーカル入りの曲を録音するぞってなったんですけど、ボーカリストがいなかったので私が歌うことになって( ちなみに、そのときに録音したのが「 You Know… 」です )。それを録り終えたとき、先生が「 つばし、きみは歌ったほうがいいと思うぞ 」って言ってくれて。そのときはじめて自分の歌を評価されたような気がして、そこから「 あ、わたし、歌ってもいいんだ 」って思えるようになりました。シンガーとしての辻林美穂がスタートしたのは確実にその瞬間です。その先生はカントクって言われてたんですけど、今回こんな風にCDを出すまでになったのもカントクのおかげだと思う。カントクが言ってくれなかったらたぶんやってなかったです。
で、もうひとり、大学の2〜4年のころにずっと教わってた先生がいるんですけど、ヤノカミ( 矢野顕子とrei harakamiによるユニット )とかハナレグミとか教えてくれて、J-POPしか聴いてなかったわたしの音楽の裾野をさらに広げてくれたり、先生はピアニストだったので、ボイシングのこと、たとえば「 ドミソじゃなくてソドミって重ねたほうがいい 」とかそういうテクニカルなことを教わったりしました。だから作曲に関していまのわたしがあるそっちの先生のおかげですね。わたしすぐ人の意見に影響されるというか、スポンジのような吸収力を発揮するんで、この時期は活動の方向も、技術的にも、大幅に広がっていったような気がします。

Q:この当時はどんな音楽を聴いてたんですか?まわりが音楽好きばかりなこともあって、リスナーとしての幅も広がったのでは?

T:そうですね…直属の先輩に、佐藤望さん( カメラ=万年筆、婦人倶楽部などで活躍するミュージシャン )がいて、サークルが同じだったこともあってすごくお世話になっていたんですけど、聴く音楽に関しては望さんにかなり色々と教えてもらいましたね。いわゆる”渋谷系”の存在もそうだし、ほかに最初のころのCapsuleとか、大貫妙子さんとか、もちろんシュガー・ベイブとか、まさにシティ・ポップ!というようなものは全部彼から教えてもらいました。たぶん、望さんが教えてくれてなかったら、わたしもっとメジャーなJ-POPサウンドを書く人、みたいになっていたと思います。

Q:ちょっと話は外れますけど、現実には「 辻林美穂はシティ・ポップの人 」と多くの人に認知されている感じですよね。作曲家になりたいというところからスタートしたご自身のなかでは、そのイメージに対する違和感とか、意識のズレみたいなのはなかったのですか?

T:そうですね、シティ・ポップの人、とカテゴライズされることが多いですね最近は。大学時代にはコトリンゴさんの存在を知って、彼女みたいな「 打ち込みをする人 」っていうイメージを持たれたいって思っていたことがありました。でも、そもそもシティ・ポップの曲を作るにもバンドのアレンジに自信がないというか、ボーカル入りの曲がたまたまバンドアレンジになって、それがたまたまシティ・ポップに聴こえている、というように私としては感じているので、私がシティ・ポップを作りたいと思って作り上げているかと言ったらそうでもないな、って感じがするんです。なので「 シティ・ポップをやる人 」って説明してもらえたときに「 私が狙ってシティ・ポップ要素を出しているわけじゃないんだけどなあ… 」って思ってしまうところはあります。だから今回出すアルバムでは、シティ・ポップ系の楽曲のアレンジはその筋のスペシャリスト的存在な石井マサユキさんにお願いしたんですけど…。でも「 シティ・ポップの人 」と呼ばれること自体には違和感はないです。ていうか知名度的にはまだまだだと思っているので「 なんとでも呼んでくれ! 」って感じです( 笑 )

Q:でもはじめて「 You Know… 」を作ったときはプロデューサーとかいなかったんですよね?その割にものすごくシティ・ポップな匂いがすると思うのですが…

T:あれ、実はすごく適当にやっていたんです。わたしがピアノで作ったデモを同級生の子たちに聴いてもらって、合わせてみたらあんな感じになった、というか。狙ってシティ・ポップっぽくしたわけじゃないですね。完成して「 ちょっと古い感じになったけどまあいいか!ホントはもうちょっとモダンな感じにしたかったんだけど 」みたいに話してたのを憶えています。まあ作った側としてはそんな感じなのに、今でも「 You Know… 」が好きで知ってくださる方もいるので、ありがたいですねホント。

インタビューその②へ続く

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辻林美穂・近日出演ライブ情報

4/22 ( 金 )「 citrus vol.4 」
下北沢モナレコード
【出演】 辻林美穂 / カンバス / CittY / ( OA )さとうあい 
開場 18:30 / 開演 19:00
チケット前売2000円 / 当日2300円

5/3( 火・祝 )「 シモキタの夜さ 」
下北沢モナレコード
【出演】カンバス/ KONCOS / 辻林美穂
開場18:30 / 開演19:00
チケット前売2,500円 当日 3,000円

辻林美穂・ワンマンライブ情報

2016年6月12日( 日 )
渋谷 7th FLOOR
〒150-0044 東京都渋谷区円山町2−3 Owestビル7F
TEL 03-3462-4466
開場17:30 / 開演18:00
料金 3,500円 *1ドリンク別

Tickets
●7th FLOOR店頭販売: 3/22( 月 )〜6/11( 土 )( 16:00〜22:00 )
●プレイガイド: イープラス
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●7th FLOOR電話予約: 3/22( 月 )〜6/11( 土 )
( 15:00〜20:00 tel:03-3462-4466 )

出演
辻林美穂

主催: Cloudy
協力: P-Vine Records

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