Surréalisme

現代詩手帖3月号「ダダ・シュルレアリスムの可能性」の雑然とした感想。

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遅ればせながら現代詩手帖3月号ダダ・シュルレアリスム特集を読みましたのでその感想を。

現代詩手帖3月号書影。

雑然とした感想

パリのシュルレアリスト・グループの一員だったアニー・ル・ブランが昨年来日した際におこなわれた講演の原稿が載っていたので嬉々として読んだ。そのテキストについていまはまだ何かを言うことはできない。とはいえこれからも繰り返し読むことになると思う。

あと鈴木雅雄氏の短いコラムで扱われたメジャーとマイナーの話がすごくよかった。「シュルレアリスムは(中略)メジャーのマイナー化、マイナーのメジャー化が内在する」ということばはとてもキャッチーで、言葉遊びのようなところもあるので一見その真意を疑いたくもなるが、感覚的にはとても腑に落ちるというか、まさしくズバリとシュルレアリスムを表しているフレーズにも聞こえる。

巖谷氏・星埜氏・後藤氏による鼎談も素晴らしく、基本歴史的事実をトピックに合わせて述べているだけなのに、読み手を未知のなにか(どこか)に飛躍させるような予感であふれていた。これまでどちらかというと偏在性とか複数性みたいなものがフィーチャーされがちだったこのテーマのテキストだが、ここではル・ブラン氏が頻繁に使うヴォキャブラリーのひとつである「サンギュラリテ(singularité、巖谷氏はこれを「とりかえのきかない自己のありかた」と訳していた)」を取り上げていたのは注意すべきところだろう。ル・ブラン氏の来日講演のとき、聴講者から「シュルレアリスムを名乗っていいですか」という質問がきて、それに対して氏は「そういう名の下になにかをする必要はない」と応えた、というエピソードが強く印象に残る。

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「シュルレアリスムとはなにか」を知りたくて、ここ10年くらい狂ったように関連本を読んできたが、ここにきてようやく「シュルレアリスムを知るためにはシュルレアリスムを生きる必要がある」ということばの意味を理解する取っ掛かりを掴みかけている気がする。どういうことかはそれぞれシュルレアリスムを生きようとしなきゃわからないと思う。意地悪で言ってるのではなくて。

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