西村ツチカ「さよーならみなさん」レビュー。新しさであふれているのにどこか懐かしい

2017/03/25

- sponsored link -

西村ツチカさんのマンガ「さよーならみなさん」が素晴らしかった。

さよーならみなさん (ビッグコミックス)

西村ツチカさんは商業誌に限らず、数多の同人誌への寄稿やCDジャケットへのイラスト提供などでも活動していて、最近はトーベヤンソン・ニューヨークというバンドのギターとしてシングルを発表してなんかもいます。今作は、単行本としては短編集「なかよし団の冒険」、「かわいそうな真弓さん」に続く3作目。自身初の月刊連載で書かれたもの(スピリッツにて連載)ですが、単行本化にあたって大幅に加筆修正を加え、収録順も掲載順とは大きく異なっているみたいです。

-sponsored link-

主人公は、スーパーマーケットでアルバイトをしていて、運動神経は自転車に乗れないほど、そして面倒くさいことが嫌いな女子高生・木村みなさん。彼女がバイト先のスーパーの店長から受けたデートの誘いを断ったおかげでクビになったときから、その二日後までに出会う様々な男性と彼女とのやりとりを描く、というのが大まかなあらすじ。

ストーリーは基本的に一話完結なのですが、全体としてわらしべ長者が下敷きにもなっていて、一話目でバイトの同僚である石倉さんから借りたハンカチが、空き缶やペットボトルのふたなど、男性と関わるごとにどんどん交換されていきます。

そして(前述の石倉さんも含めて)彼女が関わる男性というのが、誰も彼も明らかに気が狂っています。西村ツチカさん曰く「自分の中にある中2病的な部分を投影している」らしく、自殺願望があるが死にきれない同級生、毎日同じルーティンをこなさないと不安になり何もできなくなってしまう下級生、など一癖ある行動をする人物ばかり。しかしながら、同時にどのキャラ造詣にも遊びの部分が残されていて、与えられた役割を完遂するわけではなく、ためらったり、どことなく抜けていたり、逆に意固地になって突拍子もない行動に出たりとぐちゃぐちゃで、とっても愛らしい印象を持つキャラクターばかりで読んでてニヤニヤしてしまいます。

とはいえ、このマンガを読みながら一番に感じたのはえもいわれぬ恐怖感でした。読み進めていくうちに、次になにが起こるのか、誰が出てくるのか、まったくわからない感覚に陥るのです。
それはおそらく私たちが生きている社会においては明らかにおかしな関係性で繰り広げられる台詞のやり取りが大半を占めること(大体の場合主人公と対峙する男性たちは主人公の問いかけに直線的には答えない)や、ページをめくるたび、既成概念的なマンガの枠に囚われない、むしろそこから抜け出そうとするかのように描かれた絵が、目まぐるしく色々なパターンで繰り出されてくるからなのだ、と想像しています。

こんなことをいうといかにもアヴァンギャルドな、最近冨に聞くニューウェーブ・オブ・ニューウェーブの作品の筆頭、新しさで満載のマンガであるかのように聞こえるかもしれません(実際そういう風に思っている人も多いと思う)が、しかし同時に古来から根付いているマンガ的な印象も強く感じるのです。さっきも言った愛らしいキャラクター、というのも詰まるところ非常にマンガ的、ということなのでしょう。ただの悪者ではなく、ちょっとボケているからかわいく見える。わかりやすい例で言うとばいきんまん、みたいなものですね。加えて、「なんともはや」、「ためつすがめつ」、「まことしやか」、など現代日本ではなかなか使わない言葉がたびたび出てくるのもその一貫なのだと思えてしまうのです。

そういうマンガ的な表現、という部分ではそれは実際西村ツチカさん自身も強く意識しているようで、マンガルカ、という同人誌に掲載されているこのマンガに関するインタビューでも「僕はマンガ原理主義者」とか「マンガのギャグは日常生活では笑えない、しかしそれがマンガ的ギャグなんです」というような発言をしています。

絵柄や構図は前衛的、しかし骨子は原理主義的。マンガの過去と未来のハイブリッド。他ジャンルの偉大な先人たちがそうしていたように、過去に敬意を払いつつ、同時にこれまでにないものをみせようとしているといってもいい西村ツチカさん。これらのことから考えると、少し大げさに聞こえるかもしれませんが、「さよーならみなさん」を読むと、この作品が2013年現在の日本のマンガの最先端であることを証明するだけでなく、彼がマンガというジャンルでひとつの時代を作り上げていく旗手となる気がしてならないのです。

さよーならみなさん (ビッグコミックス)
西村 ツチカ
小学館 (2013-10-30)
この記事をシェア

関連記事